幕田魁心

わが書道部 
顧問 幕田
  「十年間一つの学校にいなさい。最初の三年間は試行錯誤、次の四 年間は発展期、最後の三年間で完成だ」そして、「教師はコマの心棒だ。コマが勢いよく回転している時,心棒は静止した状態になる。コマが勢いがないと心棒はふらつく。教師は全体を把握し、生徒に指示 を与えるだけで、ゆっくりとタバコでも喫っていればよい。生徒は何をすべきか、教師の意を汲み、すごい勢いで回転をする。こうした教 師の『静』生徒の『動』が出来た時、完成だよ。」
と、十六年前に教
員になった時、あるベテラン教師に言われた。
昭和五十二年、天羽高校から創設二年目の袖ヶ浦高校に赴任して以 来十一年が経った。
まだ「静」の状態にはほど遠いが、袖ヶ浦高校書道部での十一年間の実践記録をまとめてみようと思う。


(一)指導方針
一、運動系クラブの練習量に負けないこと。 
一、三年間一つの法帖を決め、徹底臨書を行うこと。 
一、研究発表をすること。 
一、書道部員が1つの家族になること。 
この四本の柱が私の指導方針である。
書を理解し、技術を習得するには、練習以外には無い。
高校生に練習する意義を理解させ、緊張した状態で1枚でも多く練習させること は、プロならいざしらず生徒には難しいことである。
そこで、何か目標を持たせることで、練習量を増やすようにした。
つまり、
六月・新
入生歓迎臨書展、
八月・全臨の宿題、
九・十月・文化クラブ発表会、各種展覧会出品、
十一月・高校芸術祭、
一月・君津郡市高校書道展、

三月・卒業書作展
といった具合いに、二ヶ月に一度は行事を設定し、息の抜く暇のないようにした。

しかも、一点の作品制作に最低100枚以上の練習を課したのである。 
更に、作品 のギリギリまで作品を書かせるのが常である。
満足
のいく作品というのはなかなか望めない。
ただ、作品制作を終えた時の気持ちが大切である。
全精力を使い、自己の限界まで戦った作品で あればあるほど充実感が湧き、愛着のある作品となる。
つまり自分自 身の情熱のかけ具合いが、そのまま書の深さに比例する。
そしてこの エネルギーは、次回の作品制作の礎となるはずである。
このような姿 勢のくり返しが、書の道の心髄へと導いてくれるものと思う。
故に、 私は「もうすこし書けば何とか.........」という言葉は敗者であると言う。
現在、書道部の練習は、毎日朝三十分、放課後二時間半の1日三時間。
日曜日、祝日の大半を返上しての練習である。
作品メ切日が近づ
くと当然、学校で、家でと練習がエスカレートする。
こうした、毎日 の練習には必ずやマンネリズムに陥る。
このマンネリズムを打破する ために、節目が必要となる。
その時、私は作品を提出させ、その作品 に評文を書く。
発奮材料となるようにかなり厳しい評文となる。
そのあとの指導は、生徒一人一人の内面的心理、技量を読みながら「褒 め」たり「酷評」したりして、生徒の能力をすこしでも引き上げるようにしている。
また、練習量の他に、部活動の運営にもう一つ重点を置いているこ とに、部員相互の連帯感がある。 
書は個人で展開するものであるが、部員と部員との間は一つの絆で 結ばれていなければならない。
ある時は競争心をかき立て、ある時は相手をおもいやり、何かあれば、部員一丸となつて事にあたることが 大切である。
この連帯感は、書に対する技量,意欲を高め、人間と人 間の触れ合いを大切にする。
そして一人一人の能力は十倍、二十倍 の力を発揮するように思える。
まり、書道部室には、二つの空気が ある。
一つは、練習している時のピーンと張りつめた空気。
そして、 もう一つは、笑いを誘う和やかな空気である。
この「鍛練」と「和」 の二つの空気が部室に充満している時、生徒の顔は生き生きとしてい る。
私は、この二つの空気が好きだ。
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(二)全臨
私の臨書に対する考えを述べてみる。
書の鍛練の方法としては、臨書以外にはない。
形臨、意臨、背臨と 分けた臨書方法があるが、分けるのには無理がある。
形、意臨両方そなわってはじめて臨書である。
まず、我々は古典臨書を行う場合、千数百年という歴史の持つ重みと、刻々と美の生命を宿して来た普遍的 法則を受けとらなければならない。
その法則を読み取るためには、原 本の文字を手掛かりとして読み取るしかない。
故に、その文字を忠実 に再現することから入るべきである。
つまり、数学の最低の基礎とな る方程式を憶えるようなものである。
出発点で間違って憶えたのでは問題が解けないように、美の法則もしかりである。
書は、視覚芸術である。
感覚を養うためには、まず目の訓練が必要 である。
これぐらいの感じだろうといった甘い感覚では、いつまでたっても美の普遍的法則は読みとれない。
つまり、髪の毛一本の誤差をも見のがさない厳しい目が要求される。
まさに、絵画のデッサンと同 様で、何度も何度も繰り返す込要がある。
原本の美を読み取る訓練で あるから、臨書を行う時、二度書き三度書きすべてよい。
そして、よ り正確に美を享受するためには、書いた人の環境に近づけるべきであ る。
故に、原本の文字よりすこし大きめの二〜三倍あたりが適当である。 
こうした姿勢の後、反復練習によってその法帖の持つ美、造形、用 筆、精神等を正確に読みとる力が養われ、鋭敏な感覚になると思う。
つまり、基本に忠実に鍛練してこそ、資質が啓発され個性が作られる。
生徒には、四、五月にこうした方法論を徹底して実践させ、全臨ヘ と持っていく。
この全臨は、私の指導の中で一番重点を置いている分 野であり、一、二年生を中心に展開していく。
文化クラブ発表会、卒 業書作展では、必ず全臨に取り組ませており、出品のために最低二枚 は書かせている。
その他に春、夏休み中は全臨の宿題を課している。 
蘭亭序の全臨は年間、五,六回は繰り返すようにしている。 
智永の千字文や九成宮醴泉銘等の1000字を越す法帖を、原寸 よりやや大きめに臨書させる。
これはかなりの長丁場である。
法帖の 持つ気脈、造形を追って行くには大変な難しさがある。まさに、一歩 一歩登山をしている心境になる。
そして、法帖との格闘の末に完成し た時の喜びは、経験した者のみが味わえる貴重な体験である。
この積 み重ねは、書に対して取り組む姿勢、書の厳しさ、精神力等を養うさまざまな効果がある。
故に、全臨指導は私の指導上重要な位置づけと なっている。
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(三)三年生による授業 

三年生ともなると、かなりの技術と知識を持つようになる。
六月下 旬に、三年生が資料を作成し、一、二年生に指導する「授業」を六年前の三期生より行っている。 
この授業は、三年生がそれぞれ篆、隷、楷、行、草,仮名の各書体 の中から1つの法帖を決め、その法帖の時代背景、書風の特色、用筆 の解説や実技を二時間半で指導するのである。
特に一年生にとって 初めて練習する書体が多く、真剣に先輩の言葉に耳を傾け、筆を取る姿がみられる。

三年生にとってこの授業は、過去勉強して来た力を発揮する場であり、熱のこもったものになる。
資料作成も1 ヶ月前頃より準備を進め 三年生の机の上は資料の本で山積みとなり、本との睨み合いの日々が 続く。
発表の日が近づくにつれ、私のもとに資料を持って来る回数が 増えてくる。
今年度は、資料作りのため、私の家で合宿を行う程エス カートした。
そして、発表の数日前に迫ると、当然のごとく徹夜で の作業が展開される。
この資料の内容も年々豊富になった。
今年度発 表した三年生は、書道史もかねてやったため、一人の資料が藁半紙三十枚前後にもおよんだ。
なかには、指導案やテスト問題まで作成する 生徒も現われ、それぞれ工夫した展開となった。
まさに、「一日先生」
である。 

この一日先生も、こうした発表は初めての経験なので、発表前夜はいろいろ考えをめぐらしなかなか寝つかれないらしい。
発表当日も、 最初のうちは、足が震えたり、声が上擦ったり、緊張した姿が見られ る。
しかし、時間がたつにつれ、自分のペースを持ち始めると、朱液 での添削や示範等、優越感(?) にひたっているのか、もうすっかり 指導者になりきった姿となる。
そして、二時間半の授業が終り、全員で拍手した時、三年生の顔には、充実感と安堵感の入りみだれた何ともいえない高校生の素顔がある。 

三年生にとって教えることの苦労、難しさ、喜び等、この授業を通 じてわずかであるが、肌で感じたことは貴重な体験となったであろう。
また、この三年生の資料作成から発表までの姿を見たことにより、一、二年生は私が指導する時とは別の真剣な視線を送っていたようだ。
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(四)合宿
毎年夏休みに四泊五日で合宿を行なっている。  私は、生徒に「限界への挑戦」と銘うって, ハードスケジュールの練習を課している。 朝六時に練習が始まり、終了するのがだいたい午前三、四時で、一日、十五、六時間は筆を持っている。 だから、合宿期間中通じての睡眠時間は、十時間程度であろう。
これだけ長時間練習させるため、生徒がマンネリズムに陥らないよ う、次の様な練習日程を組んでいる。
1三体臨書 (半折12) ...九成宮醴泉銘、雁塔聖教序、夫子廟堂碑  2篆,隸,楷,行,草の五体臨書(半折) ...石鼓文,曹全碑、 鄭羲下碑、蘭亭序、書譜  3細字による臨書...雁塔聖教序  4草書三体 (半折) ...何紹基、王鐸、自叙帖  5細楷による倣書(半紙) ...九成宮醴泉銘、雁塔聖教序、大聖武  6創作 (半紙)  7扇面書き  8小字数(全紙11枚)  (昭和六十二年度、合宿内容)
この合宿で2と3のテーマが生徒にとって一番厳しいものとなる。  その二つを説明してみる。 2の五体臨書は、部員を四、五名の五班のグループに分け、そのグ ループに卒業生が加わり、指導する形体で実施する。 一つの書体につき。平均二、三時間で仕上げる。 今年度は、夜の部から開始し、翌日の夕方までにこの五体を提出させた。 その間、大学で書道を専攻して いる卒業生三人に、三十分程度書風解説、実技指導を行わせる。 こう して提出された作品に、私がABCの評価を与える。 Aは合格、BCは不合格である。 夜の部は、不合格になった作品練習に移る。  そして、グループ全員が合格したら寝てよいという、レース形式をと っている。 また一番早く終った班には、卒業生からの差入れである アイスクリームも与えられる、というおまけまでついている。 このア イスクリームにつられるのか、卒業生をはじめ、三年生が一年生に指 導したり、お互いに励まし合いながら進んでいく。 合宿で一番辛くも あり、燃えあがる時でもある。 毎年どのグループも午前二時以前に終 了することはない。  次に、午前0時より始まる3の臨書がある。 これは、私の臨書方法 論である、「臨書は寸分の狂いもなく再現せよ」という態度で行われ る。 一字書き上げるのに目を凝らし、修正に修正を加えて臨書をする。  書き上げた二文字を卒業生が判定し、二文字合格すると寝れるというものである。 卒業生は、二、三人で僅かな空間をも見逃さない、厳しい目で判定をする。 自分が現役の時、卒業生にいじめられた腹いせか (?)なかなか合格を出そうとしない。 まさに、意地と意地のぶ つかり合いである。 毎年、朝陽を背に必死に法帖と睨み合いを続けて いる犠牲者(?)が、数名出るのが常である。 そして、二文字合格し た時の生徒の満面の笑顔は、何ともいえない喜びに溢れている。  こうしたベースで、合宿は進められていく。 とにかく合宿において 卒業生の存在は絶大なものがある。 更に、各テーマごとに解説,実技 指導の場があるため、担当に当たった卒業生は、徹夜同然の下調べを行い、生徒と同じ合宿研修となる。
振り返って見ると、卒業生のいない時期の合宿から比べ、合宿の内 容はいろいろな面で変化し、年々充実して来たようだ。 ここ数年の合 宿では、卒業生に内容を指示すれば、卒業生がすべて展開してくれる ようになった。 私は生徒の動向を見、緊張感が持続するよう、節々に 指導する程度でよい。 生徒自身も、卒業生に対して全幅の信頼を置い ており、卒業生に向ける視線も真剣でお互いに良い成果を上げている。  このように、卒業生と一体化して行われる合宿は、かなり厳しいものである。 生徒の中には、睡眠不足でフラフラしている者や、寝むけをさますため、何度も顔を洗いに行く者等、必死に頑張っている姿がある。 まさに、自己の体力との限界に挑戦しているかのようである。 この強行日程は、忍耐力、精神力、体力、書への厳しさを植えつける ために、あえて実施している。 厳しい鍛練であればある程、終了した 時の感動は、生涯忘れられないものとなる。 合宿終了後の反省会では 三年生は何かをやり遂げた充実感であろうか、涙、涙の反省会となる。 一日の練習の終了時間は、午前三、四時が普通であるが、午前一時で終了したりすると、生徒から「今年の先生は優しいのでは」「私達を見すてたのでは」という声が出る程、一種異様な雰囲気をかもし出 しているのが袖ヶ浦高校書道部の合宿である。
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(五)研究発表

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月に行われる卒業書作展の折に、書道史研究の発表を行っている。 二年生の夏頃から準備を始め、1年半で1テーマをまとめるものである。
書を勉強するものにとって、臨書による技術の鍛練は当然であるが、もう一つ大切な分野に時代背景との書体、書風変遷のかかわりや、一 つの法帖の造形、用筆等の美の分析を行う書道史研究がある。
このような、美を理論的に究明する研究は、書を理解する上で必要 不可欠であり、重要な意味を持つ分野である。  高校生に、こうした理論的なことを要求することは、やや無理があ るかもしれない。 しかし、高校時代にいろいろな分野について経験す ることは、将来、貴重な財産となると思う。 書は、高校生で終わりで はないし、卒業後も研究する可能性を有している。 その研究が、結論 が出なくて資料蒐集に終わったとしても,所期の目的を十分達成する ものと思う。
この十年間に発表した研究発表は、次の通りである。 第1期生 良寛の書  第2期生 南派楷書の流れ  第3期生 漢碑の地理的考察  第3期生 集字聖教序と興福寺断碑の比較  第4期生 木簡書風の一考察(敦煌,居延を中心として) · 第5期生 漢碑の地理的考察  第6期生 十七帖の一考察  第7期生 喪乱帖と孔侍中帖の一考察  第8期生 智永,千字文の一考察  第8期生 居延木簡の書風  第9期生 六朝墓誌銘の一考察  第10期生 中国書道史の流れ及び平安書道
いずれの研究も、地域別·年代別,共通文字等の比較検討を中心と して展開を行った。 故に、各法帖の字典作りの作業から入るのが常で あった。 この十年間に、集字聖教序,九成宮醴泉銘を始め漢碑諸帖等、 二十数帖の字典が出来上がった。 千数百字に渡る字典作りは、大変な 労力を要するが、このような作業を通じながら、その法帖に対する知識や、美の原理の一端を肌で感じることは、書への理解が一層増すことになる。
ここで、第八期生の「居延木簡書風の変遷」を発表した四人の作業展開を見てみる。 まず、東京堂出版の「漢簡」第1 第八巻の中から年代のわかる 木簡を拾い出し、年代順に並べ一覧表にした。 BC九十年からAD九十四年までの木簡四三七点が集録された。この一覧表を検討してみる と残念ながら紀元後から八十年頃までの記年の判明する木簡が見あた らない。 書風変遷を調べる上で重要な時期が空洞化の状態である。 かし、この資料は前漢からの約百八十年間の居延地域における記年が 判別できる木簡群であり、いろいろな面で、研究するための貴重な資 料となった。  次に、より細かく書風の変遷史を検討するためには、一つの文字を 追う必要がある。 更に、多面的に比較検討の考察をする関係上、どう してもこの集録された木簡の字典が 要となる。 この字典作りは、延 ペ数万字におよぶ膨大なものになるため、私自身、生徒にそこまで要 求するのは酷の様な気がしたが、生徒はいつしか木簡の俘になってい た。 くる日もくる日も小さな文字をカッターで切っては貼り、貼って は切りという単純作業のくり返しの日なであった。 この字典は、B の用紙四十五枚に及んでおり、字典完成には数ヶ月を要したようだ。
しかも、同一文字を年代順にならべた字典であり、価値のある字典の 完成であった。
しかし, この字典が完成した時には、発表が数日前に迫っており 残りの作業は私の家での合宿となった。 数日徹夜での追い込みであっ た。 冊子にまとめられたものを見ると資料集の感が強いが、この数ヶ 月間の彼等の木簡との取り組みは、生涯忘れることのない思い出にな ったことと思う。 そして、このメンバーの一人が,今、二松学舎大学 で書道を学んでいる。 いつしか、この資料を基に深く研究が進まれることであろう。高校時代何もわからず、私に言われた通り、ただ夢中に行 なった作業であったろうが、彼等の心の中に「木簡」という響きは、 他の書とは違った響きを持ち、心にしっかりと刻まれたものと思う。
今、一例をここに掲げたが、他の研究を行なった人等も、同様の作 業と感慨を持ったことと思う。 この研究のメ切の真近には,必ずや私 の家での合宿が恒例になっている。 そして、その時には、常に三田、 田村(二期生)両君の顔がある。 他の卒業生も駆け付け、その研究の 手伝いをする。 このような体制で研究は完成を見る。 この研究が完成 した時の生徒の顔には、疲れを通りこし、充実感と喜び、そして安堵 感が入り混じった、何ともいえない純真な笑顔を見ることが出来る。
そして、この研究は、卒業書作展の会場で、参観者を前にして発表 する。どの顔も自信に満ち溢れ、堂々と解説を行う姿がそこにある。
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(六)卒業書作展
昭和五十四年三月の袖ヶ浦高校第一回卒業の時より、木更津社会教育センターで卒業書作展を開催している。 以来、今年度で十回展を迎える。 今年は十回の記念展として、県立美術館で実施する運びとなっている。 この記念展には、作品展示の他に、十年間をスライドで綴る 書道部の記録も放映予定である。  卒業書作展は、三年間書道を学んで来た総決算として、三年生を中 心に実施される。 三年生は、創作作品、三年間通して勉強した臨書等、 三、四点出品。 また, 二年生は長条幅による臨書作品を出品する。 一年生は千字文、九成宮醴泉銘あたりの細字による全臨といった内容を中心に展開する。 そして、臨書作品は殷・周から明、清時代まで、広 範囲に渉り選定するようにしている。 一壁面は中国書道史の流れを展 観できるよう展示を行っている。 こうした作品群六十点の発表と研究 発表、更に、卒業生賛助出品を加えて実施される。
この卒業展では、案内状、ポスター等が、生徒の手により作成され 案内状は、いろいろな図案を参考にしながら、三年生全員で1 のものにまとめてゆく。 ポスターも金文あたりの書を利用し、三色程 度用いて手刷のポスターを300枚作成する。 そして、部員全員で木更津市を中心に、駅や商店に貼りに行く。 こうした作業を展開してい るうちに、生徒間の卒業展へ向う気持ちの高まりを見ることが出来、 益々練習に熱気を帯びて来ることになる。  この作品書きは、1月中旬より2月末まで行われる。 全臨も二、三 回繰り返すため、生徒の中には、朝五時頃学校に登校して練習をし、 放課後更に家で練習をするという、書道漬けの日々が続くものもいる。  更に、三年生の最後の追い込みは、私の家での合宿となる。 数日間、紙と の睨み合いの日々が続く。 睡眠不足のためか、筆を持ったまま眠ってし まい,筆をポトッと落してハッと我に返り、また、筆を持ち,書き続 けながら、お互いに励まし合って、必死に練習している姿を見かける。
こうして書きあげた作品群は、膨大な数になる。 そのため、審査も 1日がかりである。 作品を見ていると、「どう、いいだろ」「いやダメ かな」と一点一点問いかけて来るようで、生徒が真剣になって筆を持 っている姿が目に浮かんで来る。 しかし、選ばれる作品は1点である。  あとは反古である。 この反古の山を見ると,私自身、次への構想へと 夢が広がるのを憶える。  そして、作品書きの後は、裏打ち、表装と準備は進む。 生徒は、作 品書きの終わった安堵感からか(?)はつらつと刷毛を持ち、私の出 る間のない程すごい勢いで準備が終了する。 また、発表当日は、参観 者に丁寧に説明を加えるのが恒例である。 この説明の仕方も、三年生 1年生に見本を見せ、積極的に行動している。 会場には、いくつも の説明しているグループが出来、生徒の笑顔がある。 一、二年生は、三年生のすばらしい卒業展になるようにと協力し, 三年生は、三年間の総決算として全力投球をするこうした一人一人 の結集が、卒業展で発表される。
そして、全員が一丸となつて、成功 へ向って努力をする。 こうした真摯な態度で取り組み、目標に向って邁進している姿を肌で感じることは、指導者として、満足のいくと ころである。 生徒と教師の歯車が合い、勢いよく回転している時、爆発的なエネルギーを生じる。 書道部最大の行事である卒業展で、この エネルギーが爆発した時、卒業展は充実しきっているし、大きな意味 を持つ。
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(七)おわりに
高校生が、何か目的意識を持って体当たりする時は、爆発的なエネ ルギーを発するものである。 今年、文化クラブ発表会のための作品書きをしている時、ある生徒が、朝五時頃登校して練習を始めた。 すると、日を追うごとに1人、2人とその輪が広がり、数日後にはほとん どの生徒が予定時間より早く来て、真剣に筆を執っていたという。
しかも、家で午前12時まで練習していたというから,大変な熱の入 れようである。このように、指導者の命令で練習をこなすのではなく、生徒自ら練習するのには大きな意味がある。 もう、こうなると作品の 良し悪しは問題ではない。 自己のギリギリまで戦った作品群…… の熱気は技術、精神とも大きく成長させるものであり、かけがえのな い何かをつかんでいることと信じる。  まさに、「鉄は熱いうちにたたけ」「鍛えれば鍛える程血となり肉となる」である。 この若い体力、精神力は、無限の可能性を秘めている。  そして、真摯な態度で無条件に体当たり出来るのもこの時期である。 書に打ち込んだ高校三年間は、彼等のこれからの人生に大きな意味を 持ったことと思う。  この十一年間、私の目指した部活動は「鍛練」と「和」であった。 書は練習以外にうまくなる方法はない。 故に、二ヶ月に一度何か行事を設定し、生徒に目標を持たせ、息のつく暇がないように次から次へ とノルマを課した。 朝練、放課後の一日三時間の練習、そして、大半 の日曜日返上という練習量。 合宿においては、一日十四、五時間は筆を持つというハードスケジュール。
数度にわたる全臨の完成。 と、強硬とも思える練習であるが、この厳しい訓練や苦しみを乗り越えた者 のみが、書の深さ、完成した喜び、美への感動等、さまざまのことを 味わうことが出来る。  こうした練習の体制の中から生まれる連帯感は、他の人に負けまい という頑張りの力を与えたり、何か事があると一丸となり、一気呵成にやり遂げる力を生む。 そして、この絆が強ければ強いほど、書道部室が一つの空気に結集され、家族が出来あがる。 この空気は筆を持っている時はピーンと張りつめて、それ以外の時は和やかな笑いの空気となる。 この二つの空気は、部運営上実に大切であり、我が書道部の目指すところである。  更に、卒業生の存在が大きいのも、我が書道部の特色である。  あれば卒業生が駆け付け、現役と一緒に行動し、援助を惜しまない。 卒業生と在校生との間も1つの絆で結ばれ、大家族が出来あがること を願っている。  それにしても、私の意を汲んでノルマを完遂しようと努力する、素 直な生徒に恵まれたことは、幸せであった。 「教師、生徒の一体化」 このことは大変難しいことであるが、いろいろな行事を通じて、お互いに全力投球をし、ぶつかり合う中に何か呼吸の合う真理が隠されているような気がする。
最後に、卒業書作展の目録に卒業生の、「卒業にあたって」という 一文がある。 ここにこれを掲載する。
素晴らしい人達との出会い、それが書だった。 (二期生有原 澄恵)
努力という言葉を書道で教わった。生涯この努力、情勢を持続させたい。 (六期生 高尾克人)
書は自分自身の心の中にある甘えとの闘いであった。 (八期生 佐渡珠美)
どんなに辛く苦しい時でも、私の戻る場所はいつも書道室だった (十期生 武富いく子) )卒業書作展